圧力との戦いが水素を広く届けていく 中沢 孝治
化石燃料を使わずに車の排出ガスを削減したい。そのためには,どこでも手に入る太陽光からエネルギー源となる水素をつくり出すことができる「水素ステーション」の開発が不可欠でした。「水を入れるだけで走る,究極のエコカーをつくりたい」。そんな開発者のアイデアをきっかけに,コンパクトで効率のよい新しい水素ステーションが生まれたのです。
太陽光から水素エネルギーをつくり出せ
「車のルーフにつけた太陽光パネルで発電し,その電気を使って水を電気分解して,できた水素で車を走らせる。車だけでエネルギーを生み,消費する究極のエコカーをつくってみたかったんです」。そう語るのは,株式会社本田技術研究所の中沢孝治さん。しかし,それを実現するには,大型バスの屋根に乗るほど大量の太陽光パネルが必要になってしまいます。それなら,太陽光から水素をつくる機能は車から外そう,と始まったのが,ソーラー水素ステーションの研究開発でした。
初代ソーラー水素ステーションでは,「太陽光パネル」を用いて発電し,できた電気を「水電解セル」に流します。そこで水が電気分解され,発生した水素は「コンプレッサ」で圧縮されて「水素タンク」に貯蔵されるのです。しかし,このしくみでは,太陽光パネルでつくられたエネルギーの約20%がコンプレッサのロスとして消費されてしまい,水素の製造効率を下げてしまっていることがわかりました。
詰め込むだけで,勝手に圧縮
そこで,開発されたのが水素を圧縮するコンプレッサ部分を取り除いた小型の「スマート水素ステーション(Smart Hydrogen Station:SHS)」です。
SHSの水電解セルは固体高分子膜(PEM)と,それを挟むプラス極板とマイナス極板で構成されています。プラス極側に水を入れて電圧をかけると,水の電気分解が起こり,水素イオン,酸素,電子に分解されます。水素イオンは,PEMを通り抜けてマイナス極側へ行きますが,酸素は通り抜けることができずにセルの外へ出て行きます。電子は導線を伝わってマイナス極側に移動し,水素イオンと反応して水素ガスとなって,直接水素タンクに貯蔵されていきます。セルに水を入れて電圧を加えていれば,水素ガスがどんどんつくられます。コンプレッサを使わなくても,タンクに直接接続された水素ガスは,徐々に圧力を上げながらタンクに溜まっていくのです。機械式コンプレッサと異なり,電気化学的な方法で水素ガスを圧縮するため,とても効率が高いのが特徴です。
350 kgもの重さに耐える土台
これまでの水素ステーションで,コンプレッサをなくすことができなかった理由―それは,「水素を圧縮する」以外にも,タンクに溜まっていく水素ガスの圧力を受け止める役割があったからです。コンプレッサをなくすと,水素タンクから生じる35 MPaもの圧力が,タンクと直接つながっている水電解セルのPEMにかかってしまうのです。PEMは,わずか0.1 mmの厚さで,1cm2あたり350 kgもの重さに耐えなければなりません。
そこで中沢さんたちは,プラス極板の下に「土台」を付けることにしました。しかし,土台には,同時にプラス極板まで電気分解のための水を届ける通り道が必要です。そこで,微細な穴を空けて,水の流路を設計しました。しかし,流路を増やせば土台がスカスカで耐圧性が低下し,一方で流路を少なくすればプラス極まで水が行き届かないというジレンマが生まれてしまいます。穴の大きさや間隔,使う素材の強度などを変えて,じつに何百回もの実験を経て,中沢さんたちはこの土台を開発したのだといいます。
「努力しなくてもエコ」な世界を目指して
水素社会の実現を目指して,日本政府は2015年度までに4大都市圏(東京,大阪,名古屋,福岡)に100か所の水素ステーションを設置することを予定しています。
しかし,導入予定の水素ステーションは非常に大型で,設置工事に数か月かかってしまいます。一方,SHSはコンパクトで,1日程度で簡単に設置できることから,より早く,広く水素社会を実現していくことが期待されています。「SHSは家庭でも水素がつくれるように,よりコンパクト化を目指しています。今は環境によいことをするために,多くの人がいろいろな気づかいをしていますが,そんな気づかいをすることなく,誰もが普通に生活しているだけで環境によいことができる世界をつくっていきたいですね」と中沢さんは話します。開発者によって行われる,数えきれないほどの実験のくり返しが,「当たり前にクリーンな水素社会」を実現へと近づけています。(文・中島 翔太)
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